こんにちは。

 

3月27日(日) 7:30〜11:30

アシュターンガ ヨーガ リサーチ クラブは定員に達しました。

定員12名のところ、現在1名キャンセル待ちとなっています。

 

早割りは明日2月15日までのお申し込みなので、キャンセル待ちでも明日までのお申し込みなら早割りとなります。

 

引き続きキャンセル待ちは受け付けていますのでよろしくお願いいたします!

 

 

 

それでは今日も旅の続きを。。。

 

マイソールでの練習にコミットした生活を過ごした後、

 

マイソール駅を出発したのが、3月31日の夜中。

夜行列車に揺られ4月1日の朝にチェンナイ着。

 

4月3日の朝チェンナイ出発の長距離列車に乗り込む。

4月3日の夜バラナシ到着。。。

 

と、こうして見るとすぐわかるけどバタバタだ。。。

 

この時点で疲れを感じてはいたけど、全力で楽しみたかった。

 

バラナシについてすぐの食事で ” あ、バラナシでは食事は楽しめないかも ” と思った。

 

そしてこの時期のバラナシは "超" がつくほどに暑い。 めっちゃ暑い。。。

 

外にいるだけで体力を消耗する。

 

至る所でラッシーの甘さや、ライムソーダやお水を飲み休憩しないと保たない感じ。

 

 

この場所で食への期待はしないほうがいいのは分かってはいても、何せ今まで南インドばかりだった僕たち。 どこかに美味しいお店があるはずだ! と賑わっているお店を探る。

 

僕たちは、現地の人で賑わっているお店は間違いないとふんでいた。

 

前ばかり向いていたら危ないぞと言わんばかりの足元注意な細道を歩き回り、僕たちは一軒のそれらしい食堂にありついた。

 

いかにもインドを感じる空色の壁の小さなお店。

 

4人テーブルが3つほどの小さな食堂はきっと家族で切り盛りしてるのかな。

若い少年も頑張っていた。

 

期待を隠しながら食べたここの味は素朴で、僕たち好みの味だった。"雰囲気"のある味だった。

皆んなもりもり食べ、お代わりもした。

 

 

限られた滞在の中、他に美味しいお店を探すリスクを負いたくないので、その後僕たちのバラナシでの食事はここばかりだった。

 

バラナシ滞在最後の食事も当然ながらここ。

 

いつもより早くについたので、仕込みを見れるチャンス。

ここぞとばかり仕込みを観察。

 

そう僕たちはこうして現地の味を学んでいた。

 

ポテトのマサラが仕上がり、仕込みも終盤。

おもむろに地面に落ちていた大きめの石を掴むおじさん。

 

そしてその石で、出来立てホヤホヤのポテトをマッシュ。。。

 

出来立てやから熱いのはわかるけど、落ちてる石で。

 

この瞬間を見てしまった僕と恭平は目を合わせる。。。

 

行ったことがある人ならわかると思うけど、バラナシの地面はひどい。

牛さんたちの "うん○" や "おし○こ" がその辺に散らばってる。

 

そしてその石を慣れた手つきで元に戻すおじさん。

 

 

そうしたカルマを経て僕らの前に出されたいつもと同じようなプレートは、もう僕たちの中では同じではなかった。

 

 

あの記憶が出てきていつものように手が進まない。。。

特にあのポテトサムシングにはなかなか手が行かない。。。

 

皆んなはどうかなと、周りを見ると、

恭平もあまり進んでいない様子。 ”やっぱそうよな〜”

 

有哉さんも進んでないやろな〜 と見て見ると、、、

 

食べてる。

めっちゃ食べてる。

なんならいつもより食べてる。

 

 

お代わりもしてる。。。

 

 

 

そんなこんなでバラナシでの食事を終えた僕たちはデリーに向かう。

(ちなみにこのバラナシ滞在中、カメラマンの磯くんは一回ダウン。恭平も1回ダウンしている。僕はなんとか。ゆうやさんは余裕といった感じ)

 

4月7日の朝には僕たちはデリーのザワつきの中にいた。

そして8日にはデリーを出発。

 

かなりハードスケジュール。

 

そんな中でも僕たちは事前に調べていた美味しいと噂のお店やおしゃれなお店へ向かう。

 

そしてデリー滞在最後の食事はオールドデリーの路地裏にある有名店に決定。

 

インド最終日だ!と盛り上がる僕たち。

 

その中の一つに明らかにグレービーと油のバランスがおかしいものがあった。

(その時はテンションが上がりすぎてて気にもならなかった。。。)

 

提供されたまま、分離して浮かんだ油と沈んだグレービーを混ぜ合わせながら美味しくいただく。

 

その後、引き続きインドを旅する有哉さん磯くんとは別れて、

僕と恭平はホテル経由で空港へと向かう。

(ちなみにこの時の食事の時も磯くんはダウンにつきホテル)

 

空港に着くなり僕たちの体に異変が。。。

(特に僕が)

 

乗車ギリギリまで僕はトイレから出ることができない状態。w

上とか下とか関係ないくらい。。。

 

なんとか乗り込むもほとんどの時間をトイレで過ごす。

あの時の油が原因なのはすぐにわかった。

 

” 😀 浮いた油はすくって取ってくださいね😀 ”

 

という親切な張り紙にも似た状態を見れていなかった自分のテンションの上がり具合を悔やんだ。

 

 

そんなこんなで僕たちはなんとか日本に到着。

 

 

その後の数日間はお腹に違和感を感じながらの日々を過ごし、さぁ やるぞ! 

とマイソールクラスでの指導も復帰するもつかの間。

 

 

その数日後、同じタイミングで体調の異変に気がついた僕と恭平が、名古屋と京都で受けた診察結果は  " 腸チフス "

 

 

隔離病棟で監禁生活を過ごす日々が始まる。

 

 

こんなに長いブログになる予定ではなかったけど、続く。。。

 

もう少しお付き合いください。

 

 

本題は、僕がシャラート先生のことを "先生" として見だした変化について。

 

 

次のブログでそこまで進みたいと思います。

 

 

それでは素敵な午後を!!!

 

 

 

 

 

 

噂のバラナシ食堂

バラナシでのラッシー休憩

この時すでに僕と恭平は症状が?

デリーでもラッシー休憩

このダールはとても美味しかったのだが。。。

インド