· 

インド日記③

2012年1月20日 夕方〜

 

シャラでのリアルなプラクティスの後、ゆーやさんと遭遇。

 

この日の夕方、ゆーやさん宅で会う約束を交わした。

明日は土曜日で練習がお休み。 どうやら練習が休みの日の前日にはこうして集まる会が定期的になされているようだ。

 

今思うと懐かしくも、そうそうたるメンバーがいた。

 

誠也、奈々絵ちゃん、英樹さん、ゆかちゃん、めぐさん(ハワイの)とはこの時初対面。

実はゆうやさんとは日本で何度かお会いしていて、インドで会えるのをとても楽しみにしていた。

 

この時の記憶もうっすらながら、楽しい夜だったことは確か。

 

数日後、シャラに歩いて通えるアパートに引越完了。

 

シャラまで歩いて通えるスペースに引っ越せて毎日が充実した日々!

 

と言いたいところではあるけど、引っ越して早々に問題発生。。。

 

なにやら全身が痒いのだ。

 

噛まれた後みたいのが全身に数十個、いや、数百カ所もある。

 

”南京虫”

 

練習にも集中できないほどの痒みに、アパートの大家さんに実情を説明するも、

”お前がどこかから連れてきたんじゃないか! ポケットに入ってたんじゃないか!”

という言いっぷり。 そんな言いっぷりなのだからなかなかベットも交換してくれない。

 

インド半端ない。。。

 

そう思わずにはいられなかった。

 

さすがにひどい痒みなので病院に行って書いてもらった診断書を見せて初めてベッドを天日干し、マットを交換してくれた。

 

その間の一晩だけベッドがなかったので、同じタイミングで越してきて向かいに住んでいる日本人の二人の部屋に泊めてもらえることに。 

そういえば、この二人とは関空からの飛行機が同じ、席も斜めだったというミラクル。

 

本当に面白い。

 

そして二人にも少しながら南京虫の悲劇が訪れ、僕たちは勝手に南京ハウスと名付けた。

 

練習・ココナッツ・朝食・洗濯・お昼ご飯・散歩・というリズムで過ごし、近くの屋台で夕食、二ルギリスーパーでお水とフルーツジュースを買いだめしてアパートに帰り、翌朝の練習に備えるシンプルな日々はとてつもなく幸せだった。

 

 

あの日以来マイソールでの生活は有哉さん、英樹さん、誠也と多くの時間を過ごした。

特に有哉さんにはマイソールでの生活や美味しいお店を教えてもらった。

 

その中の一つに カルナータカ ビリヤニ センター ( KBC ) がある。

 

カルナータカ・・・マイソールが位置する州の名前

ビリヤニ・・・インドの炊き込みごはんでその仕上げ方は様々

 

程よい炊き加減、さっぱりした味の奥にある美味しさは衝撃的だった。

 

作る工程が気になりだし、仕込みの時間をどうにか見学させてもらえないか交渉し、なんとか許可を経ることができた。

 

何度も見学させてもらったが今でもあの味は再現不可能だ。

ただ、あの時の工程というか順序は今も覚えていて、日本でビリヤニを作るときにも思い出している。  

 

ちょうど屋台の目の前に陽が沈む頃にオープンするKBC。 金曜の午後やムーンデー前日の午後にはバイクにまたがり夕陽めがけて向かった。

 

 

ビリヤニ色に色づいた夕陽を眺めながら、僕たちは日本でのことや今後のこと、練習のことについてよく話をした。

 

 

練習はというと、

 

日本ではプライマリーシリーズをもっぱら宅連、と言ってもなかなか安定しない、不真面目な練習生だった。

 

シャラート先生との練習が初めての練習生は先ず初めの1ヶ月間はプライマリーシリーズを練習する。 (母国でどれだけ練習していようが) その後、先生の導きによりセカンドシリーズの練習が始まる人は始まる。

 

そんな中、僕も1ヶ月と少しがたった頃、明日からパシャーサナを加えるようにと指示があった。 なんとなく形はわかるけど、ヴィンヤサがわからない。

 

 

その都度シャラート先生からヴィンヤサを学び、練習の名前や形は変化していくことになる。

 

 

続く

 

 

当時毎日のように通っていたお店。ここのカレーパンが最高だった。

いつかのKBC

南京ハウスのゲート